カジノは日本人全体にはなじまない

カジノ論議がひところ賑やかでしたが、最近は少しなりを潜めているのが現状です。
もともとは経済効果を狙った策として登場し、それなりの夢もあって、期待も大きかったものと言えます。
特に、商業関係者や不動産関係者そして自治体の偉い人や国の政治家などにとっては救世主的な存在とも言えそうでした。


 

カジノについても皆が賛成というわけには行かない

物事には必ず賛成の意見もあれば、反対の意見もあるので、カジノについても皆が賛成というわけには行きませんでした。
その主なものは風紀が乱れるということやギャンブル依存症者が増える、最初は良しとしても長続きしないというようなことで、その裏には利害関係もあるので、難しい論議となるのは当然と言えば当然です。

ということですが、事の本質をもう一度見直してみると正しい結論が導けそうなものと言えます。
私たち日本人のカジノ経験は、外国旅行の際にということになるでしょう。

ラスベガスなどでビギナーズラックのような感じで大もうけした人がいるというような報道もありましたし、ヨーロッパ旅行では日本国内では禁じられている賭け事が楽しめるということで、その国に遊ぶ場があれば多くの人が出かけるということは間違いありません。

 

ギャンブル性のあるものにエキサイティングが掘り起こされる

かなりの堅物と言われる人でも物見遊山というか、それも勉強の一つというか、何かと理由をつけて出かけることが多いことも確かです。
日本人に限らず、人は多かれ少なかれ、ギャンブル性のあるものにエキサイティングが掘り起こされますので、魅力を感じてしまう習性があります。

年賀はがきのお年玉懸賞を例にしても、たかが切手シートであっても当選となると興奮気味に喜んでしまうということからして、本質的には受け入れてしまうという特性があるわけです。

こうしたことからすると、カジノは日本で多くの人に受け入られる土壌があることは間違いありません。
だから施設が整備されれば、よほどの変人でない限り、興味を示して、一度は出かけてみるかという気持ちになることも確かです。

 

カジノを設置するのはいいのではないか?

それは万国博覧会が開かれたとき、オリンピックが行われようとしている今、少し前であればスカイツリーが完成したときもそうですが、皆と同じとか、共有意識というか、そういう気持ちに押し出す要素があることも見逃すことができません。

ここまで書くと、カジノを設置するのはいいのではないかということになりそうですが、それは短兵急な結論と言わざるを得ないところです。
実はカジノはどちらかと言うと、高額所得者とか上流階級を対象とした娯楽施設という性質であることは諸外国の事例ではっきりしています。

どの階層にも向くという汎用性は少ないということが言えるのです。
はっきり言えば、お金に余裕がある人に向いているということがあります。

 

自分の持ち金の範囲内で遊んでいる人がほとんど

日本人が外国で遊ぶ時のことを思い出すともっと理解できるはずです。
旅行で資金に余裕があり、その捨ててもいいと範囲で行っているというのが現実と言えます。
借金してまでという気持ちは毛頭ないのです。

日本では競輪競馬あるいはパチンコなど認められているギャンブル場がありますが、よほどのことでない限り、自分の持ち金の範囲内で遊んでいる人がほとんどにです。

もちろん、中には身を亡ぼすほどのめり込む人がいないわけではありませんが、極めて少人数と言えます。
こうした現実を考えて結論を導き出すと、できた当初は一度は出かける人が多いはずですが、次第に離れてしまうということが予見できるわけです。

 

まとめ

一つには、高級ギャンブルサロンと言うのは、多くの日本人の日常生活からは縁遠いと言えます。
二つには、野次馬根性的なものは誰しもが持っているが、長続きはしないということです。
どうしても設置するということであれば、こうした点をカバーするマーケティング戦略を練っておく必要があるというのが大事なポイントになります。